KONYA BÜYÜKŞEHİR BELEDİYESİ

メヴラーナ・ジェラルディン・ルーミー

 

メヴラーナ・ジェラルディン・ルーミーは、何百年にもわたって全世界に影響を与え、その思想により人類を啓蒙する重要な学者であり思想家です。バルフ(現アフガニスタン北部)で開始され、コンヤで終わりを迎えた旅は、人類史上最も偉大な思想家、芸術家であるメヴラーナをコンヤに贈りました。コンヤは、メヴラーナの思想のおかげで、平和、平安、寛容な都市になりました。メヴラーナが著した『精神的メスネヴィー』は、今日多くの民心を啓発しています。メヴラーナは、『精神的メスネヴィー』の他に『ルーミー語録』、『フィーヒ・マー・フィーヒ』、『書簡集』、『七説話』などの著作でも世界中に知られており、その思想により人類に光を与える思索家です。

 

メヴラーナ博物館

今日博物館として使用されているメヴレヴィー修行場がある場所は、セルジューク朝の宮殿のバラ園だったところを、スルタン・アラアッディン・カイクバートによりメヴラーナの父、「学者の王」と言われているバハーアッディン・ワラドに贈られたものです。バハーアッディン・ワラドが1231年に死去すると、今日霊廟がある場所に埋葬されました。メヴラーナ・ジェラルディン・ルーミーが12731217日に死去すると、メヴラーナの息子スルタン・ワラドがメヴラーナの墓の上に霊廟を建設したいという人々の要望を受け入れました。セルジューク朝の高官のうち、エミール・パルワーネとその一族が高額な建設費用を負担して、墓の上に円錐のドームをタイルで覆った霊廟を建設しました。霊廟の設計は、タブリーズ出身のベドレッディンが行いました。メヴレヴィー修行所と霊廟は、1926年に「コンヤ・アサル・アティカ博物館」という名で博物館として利用されるようになりました。1954年には、博物館の展示品を整理し直し、名称も「メヴラーナ博物館」と変更されました。博物館の中庭には「デルヴィーシュの扉」から入ります。中庭の北西にはデルヴィーシュの小房があります。この小房は、スルタン・ムラト三世が1584年にデルヴィーシュたちを住まわせるために作らせました。ここの小房の一部は、今日事務所として使用されています。扉の左側にある2部屋は修道場のシャイフとメヴレヴィーの部屋として当時使用されたままの姿で展示され、端の2つの部屋には、故アブデュルバキ・ギョルプナールとメフメット・オンデル博士の蔵書が展示されています。博物館の南側には台所があります。修道所が博物館として使用されるまで、食事の用意をしていたこの場所は、1990年に実施された改装により、人形を使用して当時を再現しています。ここでは、台所の本来の機能である食事の用意と他の機能であるセマ練習場の近くにセマを練習する人形が展示されています。博物館の南側は、台所からヒュッレムパシャの墓へと続き、ウチレル墓地に開かれたハムシャン門で終わりになります。ハムシャンとは「沈黙する人々」という意味で、メヴレヴィー教団では、死んだ人々はこの称号で偲ばれています。庭の中央には、セマハネがあります。すぐ横にある木製の扉はコーランを朗唱する部屋に通じており、この部屋には、貴重なカリグラフィーが多数展示されています。ソクルル・メフメット・パシャの息子ハッサン・パシャが1599年に作らせた銀製の扉から、メヴラーナと近親者の墓があるフズル・ピル(霊廟のホール)に行くことができます。ここにある2つのショーケースには、『精神的メスネヴィー』と『ディヴァーヌ・ケービル』の複製が展示されています。高い棺にはメヴラーナの父、スルタンのウレマー、バハアーッディン・ワラドが埋葬されています。セルジューク朝の木工技術の傑作であるこのは、もともとメヴラーナの墓にあったのですが、シュレイマン大帝の時代に新たに大理石の棺をその墓に作ったときここに移され彼の父の墓に置かれました。メヴラーナの棺はグリーンドームの真下にあり、刺繍を施した本体の上にあるカリグラフィー、草木、幾何学的な装飾により、純粋な芸術作品としての価値を備えています。この霊廟のタイルで装飾された棺の1つは、ムザフェリッドゥン・エミール・アリム・チェレビ、もう1つの棺は、メヴラーナの孫ジェラーレ・ハトゥンのものです。その他の棺は、順番にチェレビ・ヒュサメッディン、バイテミュルオール・シェイフ・ケラミュッディン、エミール・シェムセッディン・ヤフヤ、メヴラーナの娘、メリケ・ハトゥン、その他のホラサン出身の男子のものです。ホラサン出身の男子の墓のすぐ側に、イルハンル・ヒュキュムダール・エブ・サイド・バハディルのために作られたたらいがあります。修道場のセマハネ(旋回舞踏を行う場所)は常に両側に部屋が設けられていて、一方はメスジッド(小さなモスク)、もう一方は霊廟です。霊廟の上に覆われている星形の天井と壁のカリグラフィーと装飾品が、この場所にさらに荘厳な印象を与えています。シュレイマン大帝により16世紀に建造されたセマハネで、セマ(旋回舞踊)は1926年に修行場が博物館になるまで継続されました。セマハネにある音楽を奏でる台と音楽家達が座っている小房は元の状態を保っており、ここでは、メヴレヴィー教団の音楽に関係する金属製と木製の楽器が展示されています。

この平安な場所の庭に、ヤウズ・スルタン・セリムが1512年に作らせた、上部が覆われている「婚礼の夜」という名の池と、庭の北方にある「セルセビル」(甘い水の意)という名を与えられている泉がそれぞれ庭の美しさを引き立てています。

 

        

メヴラーナ文化センター

メヴラーナ文化センターは、メヴラーナ博物館から約1キロメートル離れた、由緒あるウチレル霊園の近くにあります。広さ約10万平方メートルもある文化センターは、コンヤで行われるあらゆる行事に使用されます。

内部にオープン形式と部屋形式の2ヵ所のセマハネ、ロビー、展示室、カフェテリア、図書館、研究センター、会議室、展示サロンなどの多数の施設があり、毎年12月にメヴラーナ・ジェラルディン・ルーミーを偲ぶ儀式が、世界最大の燭台のもとで実施されます。

毎年定期的に中心となって文化活動を行っている当センターは、コンヤの文化生活とツーリズムに新たな息吹をもたらすかのごとく、常に世界の注目を集める重要な出会いの場所としてふさわしい品位と荘厳な美しさを保っています。